我聞14-3

人間の原点に帰れ

世の中は昭和63年を境に、崩壊現象になっていくということ。
如来は善悪二道を知って光輝く。というのは、如来というのは、光ばっかり知っていてもダメなのです。闇を知らないと救いようがないのです。人間としての闇。それが悪人正機なのです。
一切の鳥獣までは自然の生き方の中で解脱している。
解脱してないのは人間だけです。
あなた方、何に貢献しましたか。
日々月々時々この魔の危機が刻々と迫っておる。

人類がいま、そこを通っているのです。

例えば日本が戦後、荒廃した祖国をみて愛国心をつのらせた。社会の荒廃を見て共同愛にめざめ、何とかして家族が平和になるために向上しょうと頑張った。
それが昭和63年までなのです。この国を復興したい、前のような郷土にしたい。
国民としての本分、社会人としての本分、家族の一員としての本分を尽くそうとして努力してきたのです。

人間として耐えることの大切さ。決断するときの勇気。実践するときの根性。これを身につけたのが昭和63年までです。すべての環境が、崩壊から光に向かう心なり。だから光のまっただ中を来たのです。

昭和63年から月の時代に入ってきた。
平和ボケして心が緩み、贅沢になれて欲をつのらす。自由勝手に生きようとして団結心がない。何事も遊び感覚で真剣さがない。
良識というものを見失って、正しさや善に背をむけようとする。自分勝手な考えや行動に走って、国や社会や家族の秩序を乱し、崩壊に導く。

平成からは、心の荒廃から闇に向っている。
だから人生を見ても、どこを見ても一寸先は闇と違いますか?
どこに光があるのですか。
皆、自分さえよかったらいいのです、いまの人間は口先ばっかり。
やはり心の荒廃をよく見よということ。人間の原点に帰れということ。

善悪二道といいました。
綺麗ごとばっかり言うてる人は薄っぺらいのです。絵を描いてもそうでしょう。
陰影のない絵は何もいいことないでしょう。陰をもっている人。人生の陰。
これが男として一番理想的な姿ではないですか。陰があるから、その人の心が立体的なんでしよう。
きれいな光一色で画いた平坦なもの、何の心が捕らえられます。
だからここに悪人正機ということが起こってきます。

綺麗ごとだけで、あかんことから極力逃げて逃げてする人はあきません。ぶつかって克服やってしまうのです。何事も真剣にぶつかっていくことが必要なのです。そこから何かを得ていく。
それが人間の陰影をつくる。陰影ある心こそ人格者なのです。

小さい子供の心なんて陰影も何もない。締麗けれどただ締麗だけ。奥行きというものがないでしょう。
陰影があるから奥行きも立体的にとらえられる。
それは何によってか?人生苦で付けていくことです。

あなた方これほども素晴らしい宗教に出会い、素晴らしい師に出会いながら、それを無駄な使い方をしたらあかんのです。
精進して精進して自分がやってみても、先生と同じことが言えるか?見えるか?そこへ行けるか?というところまでやると、その時にすごい人やとわかるのです。全然違うなということがわかるのです。
何事も真剣にぶつかって行く。体当たりでいくものがないと精進とは言わないのです。


締めくくり
宗教で人が殺しあう、それは宗教ではないのです。思想で人が殺しあう、それは思想ではなのです。
すべての物事を原点に戻して、反省せよ内観せよ。
また自分のうちにある霊としての仏性によって、煩悩にまみれた自分を裁けというのが正法なのです。
自分の中の仏によって、欲にまみれ業にまみれた自分勝手な自分を裁け。これが内観です。
自分のうちなる仏にたどり着くことが内観です。反省とは業にまみれた自分の足跡をのぞき見ること、省みることです。

この27年間、ここまで歩んできた全部が偶然ではなかった。必然だった。あなた方が僕に会うことも必然だった。
僕という人間が何者なのか。何をしにこの世に来たのか。何故こんなふうに純粋培養されてきたのか。
また、純粋培養されているからこそ人数も増えてこない。


それはこの世でも大学院に入る人は少ないでしょう?中学だったら全員入るでしょう。
高校もたくさん行く。
しかし大学に入って、次ぎ大学院に居残っていくというのはね。
あなた方が大学院の資格をもってないといかんのですよ。学ばんと!

僕は現世利益を求めている信者さんの先生に、生まれてきたのとは違うのです。
この世を救ってくれるボサッタ(菩薩・ボーディサットバ)のために僕は存在している。
だからあなた方がボサッタにならないといけないのです。

いくら心の高等教育を受けて大学院の勉強までしてもさっぱりわかりませんわ。
えらい心地のいいこと言われるのでまぁちょっと話だけ聞いてみようか、ぐらいではあきません。
言っていることがどれだけ凄いことを言っているか、ということに気がつかないとね。

あなた方の一人一人のその人生、全部偶然ではないのです。
通るべき運命を通らされている。
こんなしんどい運命と言う人。しんどい人は、そのしんどい運命を通らないかんのですよ。

何も苦労ありませんという人は、その人はまだ苦労という苦労をさせたら歪んでしまうのです。だから楽な人生を送らせておられる。
勉強が出来てくれば出来てくるほど、ちょっとやそっとでは解決つかないような運命を与えておられるのです。それがよく解かる。

正法の恩返しは金をドンドン振り込め、そんなのとは違うのです。
我々、金持になったらあかんのです。ないからいいのです。
金まみれになったら人間が違ってくるのです。
修行の中で、人間は金にやられるか、女にやられるかしかない。
女の場合も贅沢にやられるか、男にだまされるしかないのです。
じぁこれで終りましょう。どうも有難うございました。

 


 
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