我聞20

アガシャの館での結集
1987-2-8 大日法座

正法を深くやっておられる方にお話を進めていきたいと思います。
まず、あなた方が「不思議やなぁ」と思っておられることが一つあろうかと思います。
瀬川先生はアガシャ系の方やのに、何故こんなに仏法を一生懸命に説いておられるのかな?これだと思います。

実は正法をさせていただいてから12年目になります。来年が13年目なのです。
私が当初に神からいろいろなお言葉を頂いたとき、それは昭和50年でした。「お前はこれから運命の13階段を上がりなさい」とおっしゃった。来年がその13年目です。
「お前が運命の13階段を上りつめたあとで、人類は自らの運命の13階段を上るであろう」とおっしゃった。
ずーと今まで法を説いておりましたけれども、どうしても仏法の世界から出ることができないのですね。何故だろうか?

正法というのは丁度、仏法が中核になっているのです。
あなた方の見えない世界で、私たちは7000年前に天上界で結集があった。
その時はまず、アガシャ系の純粋な魂の人たちは約4万人が金剛界で集まりました。
そして私の右側に十二神将をなぞらえた私の十二弟子がいました。左側には七大天使がおられた。そして4万人の人たちの中で私は天上界で結集をした。

その時に、もう一段階低い如来界といわれるところでカンターレ系の大指導霊が約10万人ほどの人たちを集められた。やはり右側に十大弟子がおられて大きな結集をした。

今ひとつ低いところ、菩薩界でモーセ系の人たちが800万人集まりました。
そしてこれから、どのように地上に法を説いていこうか?
そしてさらに末法での人たちをどのように救っていったらいいか。このような結集が見えない天上界であったんです。

そのときは私はカンターレ系、モーセ系の方たちの結集は知りませんけれども、アガシャ系では金剛界でそれをやった。
金剛界とは非常に荒涼とした大きな大地なんですね。その真東に真っ白な半径の太陽が見える。そこから放射線状に三つの棟があった。
右から過去世のドーム、真ん中が現世のドーム、そして左側に未来のドームがあった。そこで4万人のアガシャの純潔種の人たちに講演をしました。

したがって本当に霊的な意識をもっておられる方は、そのときの模様を知っているんですね。みんな心の潜在意識の中に入っているけれど、表面意識が邪魔になってわからないだろうと思います。
そこで 『どのように地上の人たちの導きをするか』 ということです。
それは天上界の大宇宙大神霊によってそれがもたらされ、私たちはその使命を皆受けたのです。

今から7000年前の人たちというのは動物と余り変わらない。力がすべてやったんです。力さえあったら人の娘であろうが嫁さんであろうが、略奪やってきて当たり前なんです。嫁さんにします。殺すのも自由です。罰するものがおりません。捕まえて奴隷にするのも自由自在だった。

そういう世の中から地上の救済というのが始まっていった。そのためにまずモーセは「私は人類の初等教育を受け賜わりましょう」。カンターレの大指導霊は「私は中等教育を受け賜わりましょう」。そのあと、殿(しんがり)として「私は高等教育を受け賜わりましょう」とそれぞれが使命を享けた。

金剛界の大指導霊がアブラハムという名前で地上に生まれてきました。天上界の名前はエルフィン。この方が神と信仰ということを教えました。

モーセが十戒を教えます。
あなたは私の他に何ものも神としてはならない。偶像を拝んではならない。主の名をみだりに唱えてはならない。安息日を覚えてこれを聖とせよ。あなたの父と母を敬え。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。隣人の家をむさぼってはならない。このように教えていった。
まず獣同然の人間を人の道に上げることがモーゼの役目でした。
そのためには力強い神、恐るべき神、怒る神を説いてその神の命に従って、また神が教える正義に従って生きる者には、神はおしみなく力を貸し与えるぞ、というふうに教えた。

さらには2600年前にお釈迦さまが現れました。
この方は人の道から天の心までを教えた。天に入る虹の架け橋は”八正道”というものでもって教えていきました。そして人の心を、人の道から天の道へのせようとしました。

さてそこで、天上界の結集とおり、イエスが2000年前に現れてきた。
私の弟子のD君、この方が子供のころにユリゲラーのスプーン曲げがあった。見ているうちにフニャと曲がる。「お父ちゃん、スプーンが歪んだ!」その当時、お土産はスプーンだった。みな歪めてしまう。じゃ、今はどうか?
「今は曲がりません」その時分はスプーンは軟らかいものだと思っていた。

それは人間というものは神に目覚めたらオールマイティであるということです。出来ないものは何もない。ところが人間は長じて現象世界に生きていくに及んで、鉄は硬いものだと思う。そうすると曲がらない。
私はアホやから成功することはない。自分が作り出した概念の中で成功できない運命をつくってしまう。
その概念のなかで、その運命をつくる。

私は本来これを説かないといけないのです。
イエスが、「見よ、あなたにもし本当に信ずる心があったなら、この山にむかって海に入れ、といえば、必ず入るであろう」といわれた。人間はオールマイティ、無限の可能性をもっているんだ。そして神に目覚めたものは、本当に真の自由を得られるんだ。とイエスは聖書の世界で説きました。
物理的に絶対にできないスプーンを曲げてしまう凄い能力をもっています。
人間は三次元の法則を破ることができます。これが私が皆さん方に教えてあげないかん神の奥義です。

いわゆるお釈迦さんの教えからずーと上ってきた。
人心から天心になっていく中で、やっと天の心に目覚め、仏の心に目覚めた人に「あなた達はこんな凄いものを持っているんだ。けれども自分が作り出す概念で、自分の小さな運命の中を歩んでいるのだ」このように弟子にいいました。

本来人間は、その概念が大きい人。その人がやはり大きなことをするんです。
ところが人生の中で頭を打って自分の心が小さくなって、小さな概念の中で作り出す運命を生きているんです。もし我々が、その概念をはずすことができたら本当の神の奥義を人間はできるんです。
ただし正しい努力を積み重ねていかないとダメです。一足飛びに飛びついてやろう、これはダメです。踏み固め踏み固め、一歩づつ、階段を上りつめて行ったら、やがてどんな高いところでも登れる。その可能性が人間にはあるのだ。これをイエスは教えたんです。

まず信仰の人になれ。
信ずる自信。あなた方の中で自信と増上慢を一緒ににする。しかし自信は絶対に必要なんです。自信とは自神。自ら神なり、を知っていくこと。自らを信ずる。自ら神なりを信ずることに通じていきます。増上慢とはだいぶん違います。そのために自己の確立と高橋信次先生は言われたんです。
このような方法で地上の人たちを導きました。

さて末法になりました。
何故、同じようにモーセから出てこないのか?
人間はもはや人の道にはのっています。だからモーセはいらなかった。
人の道から天の道を、ということで、まず高橋信次先生が降りてこられた。
そして、人の道(中等教育)から教えていこうとされた。反省せよ、禅定せよ、自己を確立せよ。反省したときに自己の内なる真我を知っていく。

そして高橋信次先生の次のバトンタッチを私が受けました。
しかし、心のバトンタッチは受けましたけれど、人のバトンタッチは受けなかった。
何故か?信次先生のグループの知情意が毒してしまった。信次先生が10万人の人をこの世で目覚めさせられたけれども、お弟子さんたちが自分たちでバラバラに持って帰ってしまって小さな範囲内で法を説いておられる。
天心なんて全然知らない。形ばかりの世界に入ってしまった。

こういう天上界のしくみの中で私たち天上界の大指導霊たちは皆来ています。
私が正法に目覚めたとき、まだ人は人の道から一歩も上がっていなかった。
獣からやっと上がったところだった。自分たちの幸せのために科学を膨大に高度に発達させてしまった。丁度、小さい子供が包丁をもって遊んでいるのと一緒です。危ない危ない状態です。

今ものすごく天上界と地上界にはずれがあります。
それがために天の心が2000年前にも分からなかったために、地上界の人はイエスを葬ってしまいました。
そして今、末法の世に仏陀(高橋信次先生)が現れて、約束とおり10万人の人を寄せられたけれど、それがお弟子さんたちや色々のスキャンダルな問題でバラバラになってしまった。次の者に継がせることができなかったんですね。
いわゆる、ミイラ取りがミイラになってしまった状態です。

今、私が本当に天上界の秘密を明かしたんです。
時間がないからです。12年間仏法を説いて説いて説いて来たけれど、まだなかなかついて来てくれないから。
私は本来、仏法を説くために降りて来たんじゃない。天の心を教えるために来た。どうしても時間がないので(最初に昭和63年までといわれていた)私は皆さんがそこまで到達してないのに天の心を説かないといけなくなったんです。今からでも遅くないからやってほしい。

世の中は今、人間の二つの業、自我我欲と自己保存欲、これがもう解けがたい対立をする二大思想をつくっています。
自我我欲は自由主義、自己保存欲が共産主義をつくっています。
これは人間の業からつくり出していった思想だから、絶対に相容れることがないのです。平行線をたどって対立します。

 

対立の中から疑心暗鬼がおこってきます。そのために高度な科学を発達させていき、結果、私たちを第二次世界大戦で敗戦に導いていった原爆と作り出し、これの数千倍というような科学兵器をつくっています。
水爆よりもっと高度なスーパーコバルト爆弾。謎の病原体プリオン、宇宙に反射衛星をつくり、それで相手国に反射させて瞬間に蒸発させてしまう。
我々の科学はもう大変なところまで行ってます。あなた達が他山の石のように、直接目にふれないから何か関係ないように思っているけれど身近なものです。
しかも人間は、人間が人間を造りだすまでの自然生物学も発達しています。ただし肉体だけ、それがクローンです。我々はもっとも原始的な人の道についただけで、これをやっているのです。

科学が発達し物質文明が伸びれば伸びるほど、欲望が増大していくのです。そしてその欲望のためだったら何でもいい、目的のためだったら手段を選ばない、というような世の中に帰ってきました。もっとも危険な状態、これを末法といいます。

お釈迦さまが法を説かれたときに、やはり同じ天上界のしくみだからそれをいわれました。
私が死んだ後は正法千年、像法千年、末法千年となるだろう。末法の世は法が廃ってしまって何の役もなさなくなるときが千年つづく(法滅尽の世)。お釈迦様がクシナガラで涅槃に入られるときに「私はそれを防ぐために、私は今ここで滅するけれども、やがて末法の世に、ジャブトーバ(日本)のケントマティ(首都)で私は又、法を説く」といわれた。そのとおりになったんです。

そして末法の世は、いわゆる人類の中等教育から始まっていった。
お釈迦さまが法を説き、如来界で集まった10万人は集められたけれども、バラバラになってしまった。
こういう末法の世なんです。自分たちはいいけれども自分たちの子供や孫に命の保証がありません。だから天上界は逆にあなた達に教えよう、教えようとしておられる。ところが煩悩という黒い雲をつけて皆が生きておられる。

私が12年前に1年数ヶ月、完全に社会と遮断して反省三昧の日々を送り、ひたすら真理を求め、心の浄化を計った。そしてはじめて家から娑婆へ出たときにびっくりしました。人の世は実に亜地獄そのもので、人の笑いの中にも真実がないことがよく解かる。世も人の心も灰色に見え、仏法でいう法灯明どころか自灯明すらとぼっていないのがよく解かる。だから人生一寸先が闇なのだ。

「これが人間社会か!私が50年も生きてきた。幽界じゃないのか?迷った迷った迷ったと。誰も心に灯が点った人がいない。これ幽霊の世界や。なんとかして迷った迷ったと言うている盲者の人間に、真理を教えてやらないかん!」と思いました。

聖者、空海が「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」といわれた意味が実にここにある。
無明の人々なればこそ、この世を絶対と思うのだろう。

そして世の中全部が、原因と結果の法則になっているのだ。と教えてやらないかん。それさえ分かったら、皆救われていくんだと、私は信じて疑わなかった。
ところがなかなか反省してくれません。反省というのはやはり心の禊(みそぎ)なんですね。心の禊がなかったら本当に素晴らしいものは入ってこないんですね。

7000年前の天上界の結集のときに、私はあなた達にこういいました。
「あなた達もやがて地に降り、地の闇に入っていくだろう。種というものは土の上では発芽しない。土の中に入り人生が闇なればこそ、あなた達は光に向かって伸びようとする。これが世のしくみだ」

「私は地に降り、私自身がイザヤの預言どおり十字架上に散っていくであろう。それは花は散ることによって多くの実を結ぶからだ。私が私の花を散らすことによって、私は多くの実を結ばせるために十字架上に散っていく」とおっしゃった。そして末法の世に現れるといって、そのとおりになった。

私は弟子にいった。
「君たちは弟子ならボクを研究せよ。あなた達、正法正法と何を勉強しているか知らないけれど、大きな矛盾に突きあったってないか!私も突きあたった。それを説くのに暇かかったよ」
「先生、それは何ですか?」
「ゴーダマは自力を説いただろ?イエスは他力を説いてないか?何故その矛盾に気がつかんのか!」
信次先生が、イエスもゴーダマもモーセも同じだ。三大指導霊三原色やといわれた。それだけを鵜呑みにしてたらいかんのやないか?何故、イエスを研究するのだったら聖書をひも解かんのや。正法と違うところがあるだろう?

それは教えの過程なんだ。それぞれの使命なのだ。
お釈迦さまはお釈迦さまの使命として、「自力でやれ」と教えた。自力をしたらやがて他力が見えてくる。
他力に目覚めたときに、イエスが大きな他力の世界を説いてくれる。
そのように、それぞれが意識の段階光でやってきたこと。

何故、この世に闇が多いのか?
これすらも”この世は魂の修行所”という前に、あなた方を地の闇に住まわせたとき、光に向かって伸びようとする、あなた方は種なのです。
我々、苦しみ、骨身をくだき、血潮がとぶような苦しさの中を通り越して来た者は、平凡な諭しでも大きくそれから得るものがあるのだ。
末法の世というのは骨身を砕かすような、血潮がとぶような、そういう世を神ご自身が愛の中でつくっておられる。それなればこそ、安らぎを求め光を求めて人間が進もうとする。これが神のご意志なのだ。



 

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