我聞24

あの世とこの世

 

ふたつの世界を分けるベールはエーテルのようなものである。
愛と信仰によって心を清め、霊に目覚めるものは死は架空のものであり、むしろ肉の煩わしさを知るだろう。

あなた方は、何故この世に生きるのか?
あなた方は神の種である。種は光の中では発芽しない。苦しさ悲しさ、運命の重圧という土地に身を隠してこそ、光に向かって生長するのだ。
種は光のなかでは生長しない。苦しければこそ、光に向かって生長する。悲しければこそ、光に向かって生長する。

種はその土地を探し、その土地にいて光より身を隠すまで生長しない。あなた方はそのようにして、それぞれがその土地を探し、地の闇に心をおいて、神の光より身を隠し、自らの心の成長をはかり、キリストとなる。
そしてあなた方の心に、百倍も千倍もの心の実りをもたらせて、キリストとなる。

肉に宿るすべての魂が、魂の本質である精霊と化し、かくて世にある人が完全な神となれば、この壮大な天地創造の幕がおりて、すべてが終わるのだ。
魂がキリストに目覚め、その心の働きが完成されて人が神と一体となるとき、宇宙のすべてがひとつところに集まり、さらに進化した、次の大宇宙を創造しようとして宇宙は行動を開始する。
そしてその時、人々の心は神とともにあり、強大なエネルギーと化すだろう。

人よ、あなた方は、今がその実を結ぶ時である。
そして、私は知(人間の知恵)で咲き誇る文明開化の花の中心に、心という花粉をつけにきた。花粉をつけられた花びらは、やがて落ちてみすぼらしくなるそれは欲望と快楽を求めて作られた物質文明は、あらゆるところに矛盾と対立と行き詰まりを見せ、人々は自分たちの心の荒廃に気づく時となる。

それでも人は、心の真の癒しより、この世的な救いに心を奪われ、この世には偽キリストが横行するだろう。偽キリストは焚き火の灯のようなものである。
それでも闇を歩く人々は、その灯を有難がってむらがり、自らが最も尊いものを失う。

それは自らの内なる自立心と決断力と勇気である。
彼らはそれを人々から取り去り、あなた方に依頼心を植え付け、それが信仰であるとうそぶくであろう。彼らは臭いものにたかるハエを取って浄霊したといい、その腐ったものを取り除くことをしない。そして人々は彼らの格好の餌食となり、ともに地獄に堕ちるであろう。

しかし、真のキリスト者の説く真理は、太陽のように遍く世を照らし、人々は真昼の太陽の下で善悪を見定めることができよう。
しかし人々は、その法に触れて、ひとときの心の安らぎを得たとしても、そうでない日は、自らの良心に耳を貸そうとせず、欲を行い、人を裁き、対立し、時として憎み合って生き、そういう人たちが教える法を単なる知識として頭にしまって、行いに表そうとしない。

そこでいう。
法を心に植え、それを育てよ。それが行いである。行いこそがあなたの内なる法を育て、心に根づかせ息づかせる唯一の方法である。

信仰とは、その法を信じ唯一のものとして仰ぐことをいう。
行いとはそれを確かめる唯一の方法である。
ゆえに信仰と行いは不二一体のものである。他のなにものでもない。信仰が行いを深め、行いが信仰を証する。ゆえに行いのない者は信仰者ではない。
そうした者が、どうして神の愛を取りつけ運命が開かれるだろうか?

同時に、愛を知る者は、自分に多くを受けていること。を知る者である。
そのためには反省をしなさい。
あなた方は自分を愛するといいながら、その事実は愛していない。
それを私は知っている。
あなた方は自分を愛することを知らず、盲愛している。
その盲愛の中で、自分自身がわがままとなり、不平不満で心を満たす。
そのような人が自分の外を愛することはできない。真に自分を愛する者は自分に厳しいものである。自分に厳しく、他に寛容なものである。

あなた方は自分の力で生きている。自分ひとりで思い考えている。自分ひとりの判断で行動している。愛そうと努めている。この世に生きる限り何かを相手に与え、ギブ・アンド・テイクのなかで生活している。常に耐えて生きねばならない。明日わからない運命に不安と恐怖を抱いている。

しかし、よく考えなさい。
あなたの肺の一呼吸一呼吸が、あなたの意志によってなされるのであろうか?
心臓の鼓動が、あなたの意志によって働いているであろうか?
あなたは常に神の意志と力によって生かされていることを忘れてはならない。

また、あなた方は自分一人で思い考えているのだろうか?
あなた方の思いや考えは、常に神からいただいた頭脳の働きであるということを忘れてはならない。

また、自分ひとりで判断し行動しているであろうか?
その行動は神からいただいた肉体の手足が従順であればこそ、それができることを知りなさい。

また、あなたは愛そうと努めているか?
それでは愛する相手、つまり人がいなくて、あなたの愛は成立するだろうか。

又、この世で何かを相手に与えギブ・アンド・テイクであなたは生活するか?
それでは相手のない場合、あなたは何の張り合いをもって生活するのか。

さらに又、あなたは常に人生の中で耐えて生きているのだろうか?
それはあなたが、それを義務と考えるか、権利と考えるかで、その考えは違わないか。
それが正反対に変わっていくことを知らないのだ。

あなたは明日知らぬ運命に迷っているか?
その迷いはあなたの知恵のなせる業と気づかないか。
人間以外の動物は明日を思い煩わず、今日今を精一杯楽しんで生きているぞ。

人よ、このようなことをわかって生きる人を徳ある人というのだ。この徳ある人が真の幸せを知って生きる。
私はそのように神の心を教えに来た。


主なる神が、魂の修行所の場である地球に蒔いた種麦、人の種麦を育て、よい麦は神の倉に納め、悪い麦や雑草を火で焼き捨てる収穫期である。

見なさい。古き世が滅びようとも法は永遠である。法とは愛である。
むしろ物質文明という世が滅びることによって新しいより完全な精神文明の夜明けを迎えよう。
そして、私たちはその世界のことを必ず神の国と讃えるだろう。
今、私はその神の国の近いことを宣言する。

しかし、そのためには肉の性によってできた全てのものは対立し、衝突し、爆発し、分解する。そして人と人が、親子が、夫と妻が、兄弟が、社会が、国と国が、思想が、宗教が、理想が、対立し相争い。
その中で全てのものが滅びていくだろう。

しかし、自分以外の者を隣人として自覚し、その心の基調に愛をおき、互いの中に愛をもって接し、互いを浄め合う、という愛の相乗効果を計かろうとする時、人は人の作り出した全てを放棄して、あなた方は神に帰一していくのだ。

そしてそれは、神を親と仰ぐ人類が、兄弟愛や家族愛に目覚めていく運命の道筋なのだ。
そしてその時、地球を取り巻く空気は元の精気と化し、私たちはその精気を吸って、初めて魂は精霊と化す。そのとき私たちの自らの魂の故郷である神の元に帰るのだ。

よく聞くがよい。
水は、酸素1と水素2から構成されており、電気によって分解し、元の酸素と水素に分かれるように、私たちは神の精気によって善と悪とが分解され、私たちは元の精霊に帰されて、魂の故郷に帰るんだ。

そして今、人類はその分解の過程にあり、生みの苦しみを続けねばならない。
そして私の話を聞くあなた方こそ、新しい人類家族の捨石となって、家族はその捨石を隅の頭石として、新しい家造りを創めるであろう。

汝、素直たれ  素直なる心は善と邪悪を見定めよう。
汝、純真たれ  純真なる心は神の愛の庇護をうけるだろう。
汝、清かれ   清き心は神を見るだろう。
汝、安かれ   安き心は愛を覚えるだろう。
汝、信たれ   信ある心は安らぎを得るだろう。
汝、愛たれ   愛に満ちし心は、汝の一切を成就さすだろう。

神我なる、汝自身に目覚めよ!
その時あなたは、汝自身の内にキリストを見るだろう。

 

 

 

 

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