我聞3-1

魂の修行とは

如是我聞 (師より私はこのように聞いた)

私たちは、何の目的でこの世に生まれてきたのか?

それはこの世を魂の修行の場と定め、魂を進化(神化、親化)させるために生まれてきたのである。自らの心のままを運命にまた病に現象化させて、この人生を生きる。
運命も病も、自らに課せられた課題である。この地上で原因と結果という法則を通して、自らの心を修正して運命を転換し、丸く豊かな心を作っていく。心を癒せば病を離れ、足ることを知れば安らぎが生じる。
そして反省と禅定を重ね、私たちの生命意識を高め、さらには丸く豊かな心を作ることによって、この世という三次元世界を調和し、仏国土ユートピアを創らんがために、意識の世界から降りて来たのである。

人間は過去世から現世へと幾度も転生し、その都度人生を味わって魂の修行をし、死を迎え次の世に旅立つ。
神から分かれた神の子である人間が、成長して神に還る長い道程である。

しかし、私たちは長い転生(生まれ変わり)の繰りかえしの結果、それぞれの業を身につけてしまい、今すべてのものが行き詰まり、人類は絶体絶命の窮地に追い込まれている。

物質文明の繁栄に比例する心の荒廃から起こる親と子の断絶、夫婦の対立、人と人との対立、国と国との対立、思想の対立、人を救うべき宗教の対立など、どこをとっても希望を持てるものは何ひとつない。

人類社会は今や、物質文明から精神文明に移る過渡期にあり、そのために心不在社会に気がつき、心を求める人も決して少なくない。

しかし、その心を教えるべき宗教までもが退廃し、現世利益を売りものに巨大な宗教産業と化しては救いの道は閉ざされ、人類は混迷の坩堝のなかに伸吟するばかりである。

人類に対する天の救済の方法は、すでに七千年前に天上界で計画されていた。

恩師、瀬川宗一先生の著書の"霊示"にも載っている。
そして瀬川宗一先生と高橋信次先生との深い関係も明確になってくる。


 如是我聞  (師より私はこのように聞いた)

遥か昔、この世とはまったくかけ離れた非常に高次元な天上の世界で、イエス・ ゴーダマ・モーセの三方が神の命をうけて、どういう風にして地上の人たちを救わねばいけないかということを話し合われた。

そして、イエスといわれる方は金剛界という異次元の世界でアガシャ系の魂の人を約四万人集められ、地上の人々の救済について話し合いがされた。
釈迦は如来界というところにカンターレ系の魂の人たちを集められ、地上の人びとの救済を縁生の人たちと話し合いをされた。
モーセは菩薩界にたくさんのモーセ系の魂の人たちを集められ話し合いをされた。このようにして天上界で結集した。

(人類の初等教育) 
そして最初に、神との約束を果たすために、モーセは4000年前に地上のエジプトに降りた。当時の人類の心は動物とあまり変らず、力がすべてを支配し、力ある者は人の娘であろうが妻であろうが、お構いなく奪って自分の妻とし、他人の家であろうと略奪して自分のものにすればよかった。
そうした人類社会の実状の中に、怒り荒ぶる恐ろしい神を人々に教えた。
そして、その神に従順となり十戒の掟に従う者には、神は救いの手を差しのべると説いて、動物とあまり変らない人類を人の道にのせた。

(人類の中等教育)
次には、今から約2600年前に、ゴーダマ・シッタルタ(釈迦)をインドの地に派遣して、人は自己の内に内在する偉大な智慧によって、苦の実態を把握し、その苦をのり越えて悟りの悲願に到達すると説いて、人の道にのった人の心を仏の道、天に導こうとして仏法(悲慈)を説いた。

(人類の高等教育)
最後に、今から2000年前には、中東のユダヤの地にイエス・キリストを遣わして、この世の調和と繁栄は愛の領域の拡大にあると、天に導いた心を天に目覚めさせるために愛の法(愛)を説いた。しかし、人の心はいまだ天に目覚めていなかったので、イエス・キリストは人の業の生け贄(いけにえ)となり、十字架上に相果てた。

そして、釈尊が法を説かれて2600年後、イエスが法を説かれて約2000年後の「末法」の時代を迎えた現代社会に、再び釈尊がこの世に再生して法を説き、イエスがこの世に再生して愛の法を説く。モーセを遣わす必要がなかったのは、もはや人類が人の道を歩んでいたからである。

仏法も正法千年、像法千年、末法千年といわれたように根幹を見失った頃に宗祖が現われて法を正す必要があり、高橋信次先生が現われ、瀬川宗一先生が現われたのだ。

 

 

 

 

 
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