我聞8

本当のイエス伝 

イエスは神と共に多くの奇跡を起こしながら、最後には皆に捨てられたのです。
弟子に捨てられ、助けた人に捨てられた。悪言をあびせられ、自分独りで死んでいかれた。わずかな女性の涙の中で死んでいくのですね。
しかし、イエスが神と共に人助けをしていたとき、神はすぐそばにおられた。足跡がいつも二つあった。神と自分の足跡だった。

捕らえられてカヤパやピラトの裁きにかかる。ガバタという裁きの石がある。その石のところで裁かれる。
ところが本当はもう力のないイエスなんか、あの人たちにはもうどうでもよかった。 
本当に十字架にかけたかったのはバラバという人なのです。これを助けたら又やりよるので。これは革命党なのです。いまのハマスみたいな者です。ローマ軍を追い出す熱心党なんです。

ところが民衆は、バラバを助けたら又この人がローマ軍を追っ払ってくれると思って、イエスを殺してバラバを助けよ、といった。カヤパやピラトはバラバをやっつけたかったが、民衆はそうじゃない。仕方がない民衆の声だから。

過ぎ越しの祭りの特赦として、それをしないといけない。 ついにイエスが磔(はりつけ)にあったのです。
ビアドロロッサ(嘆きの道)、そこを十字架を背負って上がっていった。革命党のこそ泥みたいな奴、盗賊と書いてある、本当は革命派の志士です。 その二人とイエスが真ん中になって、クギを打たれた。 

ところが映画などでは、イエスははだらっとだれとるけれど、だれてないんですよね。だれるはずがないんですよ、生きてる限り。あなた方、想像してごらんよ。手にクギ打たれて、足にクギ打たれて、立てられてるんですよ。足が切り裂くように痛いから手でかばうと、手が今度切り裂くように痛い、その手の痛さを足でかばうと、足が切り裂く。イエスはのたうっていた。もう、のたうっていた。あれはもう死にかけているからです。本当にのた打っていた。

だけどイエスは知っていた。何故かと言うと、本当の苦しみの中に入った人はよく解る。苦しんで苦しんで苦しんで、ものすごく苦しんだ後は、恍惚という救いがあるのです。苦しんだあとは快惚の中に入って救われていく。それがオレンジ色の光です。だから本当に苦しんだ人は思い出すと思います。

苦しみ悩み、苦しみ悩み最後までいったとき、心が捻じ曲がるような苦しみに入ったら、恍惚が来る。それと同じように、切り裂くような痛みが鈍痛になり、やがてしびれになってくる。その時が本当の終わりなんです。
それをイエスは待っていた。死を前にしてだんだん自分の体力が衰えて鈍痛になりしびれになってきた。

「エリ、エリ、ラマサバクタニ、神よ、なんで私を見捨て給うたか!」。イエスは神をなじったんです。
その時に 『私は決してお前を見捨てていない。ガバタでお前が裁かれ、ビアドロロッサの道を十字架を背負って上がっていくとき、皆に罵声を浴びせられて、つばを吐きかけられて、汗とほこりにまみれたそのお前を背負って私は歩いていた』とおっしゃった。
『お前の悲しみを我が悲しみとし、お前の苦しみを我が苦しみとして、お前を背負って歩いていた』とおっしゃった。

本当に愛ある者はそれをしますでしょ?
母親と子供の仲がいいときは二人で買い物に行こう。あちこち二人で行く。しかし、その子がもうあかん駄目や、痛い死にそうやと言うたとき、ヒョロヒョロの母親でも、わしの背中に負われてこい、一歩でも二歩でも医者へ連れて行こうとする。それが愛でしょう?夫婦でも本当の愛になってきたら、自分の連れ合いが路上で「お父さんもうあかん、死んでしまう」と倒れたら、「俺の背中におぶされ、医者に連れていってやる、おぶされ」言いませんか?これが愛なのです。

その時イエスはやっとわかって、「我が命、あなたにさしあげます」とおっしやつた。それほどの神です。
そういう中でイエスは最後の力を振り絞った。

「主よ、どうかお願いです、私のいうことを聞いてください。私は皆の親です。親はどの子供でも親であるが故に、理解することができます。精神病を患った子ですら理解することができる。しかも親の責任として心の中で血の涙を流している。どんなやんちゃな子でも理解できる、だけど親になったことのない子供が、親が理解できますか? 
知らずにしたことです。主よどうか私の子供を助けてください。自分にムチ打った人を助けてください。あざけった人を助けてください、自分の前から遠ざかった人を助けてください。それは今もいっしょなのです。
私から離れた人は、その日が命日やと思っている。離れたときが命日やと思って祈っていますわね、去ってさえも。「うまいこといきますように、幸せがきますように」。

そしてイエスは、「我がことは成れり」と、この世を去って行ったんです。

そのイエスの親って何なのか?
これが神ですよね。 
じゃ自分の子供を死なした人あるかなぁ。心の真中に穴があくのですよ、寒々とした風がそこを通っていくんですよ。
神さまも、自分の子供を人のいけにえにした。自分の意志で殺したんだというそれが、神の心の真中に穴があいたのです。そこからやり場のない憤りの風がパァーと吹いたんです。それが幔幕を二つに引き裂いたんです。これが母性なんです。

佐々木君という弟子がいた。
その佐々木君が死んだ。その後、うちの反省研修会があった。佐々木君に関わりのあった人は反省をようしないのです。「ごめんなさい!先生。先生すら遠-いんです、ここに穴があいて寒いんです」。我が子を死なした者の証でしょ。

これが正しいイエス伝です。
今、世界ですごい数の信者がいて一番の中心のシンボルが"山上の垂訓”でしょう。
ところがその”山上の垂訓”で当時は民衆が、何の意味かも分からなくて離れてしまった。
イエスは心の王国を説いたのです。


僕が天から来たのは、現世利益の人を救えと言うて来ていない。本当の弟子を志す者に法を説きなさい。というて来ているのです。だからその人たちの師なのです。現世利益の人たちは肩すかしを食うのです。

それはイエスの時も同じでした。民衆は旧約聖書の中のダビデという救世主のように、敵を追い出して、ユダヤを独立させてくれるダビデの再来のようにイエスを見ていたのです。

ところがイエスはそうではなく、人間の心というものを説きにきた。愛をです。だから敵を殺してユダヤを解放するのではなくて、「汝、右の頼を打たれたら、左の頼も出しなさい」。「自分を迫害する者のために祈れ」と言われた。

その当時のユダヤ人から見るとびっくりすることなのです。何でそんなことをしないといかんのか!ということです。だから、あの"山上の垂訓”なんてわからない。あれでいっぺんに皆が離れていったのです。
その当時は意味がわからなかったけれど、今やっと解かるんですよ。

あの当時には革命を起こしてくれると思っていた。弟子たちもそうだった。革命を起こした暁には私は何々の大臣になろうかという自分の思惑をもっていた。ところが思惑どころか弟子は皆、離れてしまった。
それがあの当時の真髄でしょう。結局は皆、現世利益だった。
イエスはそうではなく、心の王国を説いていたのです。だから、それは今も一緒なのです。



山上の垂訓

聖書は弟子が書いたものである。弟子はイエスの本当の心を理解できなかった。
知らなかった。現在の聖書にはこう記されている。

”心の貧しい人たちは幸いなり、天国は彼らのものである”
”悲しんでいる人たちは幸いなり、彼らは慰められるであろう”
”柔和な人たちは幸いなり、彼らは地を受けつぐであろう”
”義に飢え渇いている人たちは幸いなり、彼らは飽き足りるようになるであろう”
”あわれみ深い人たちは幸いなり、彼らはあわれみを受けるであろう”
”心の清い人たちは幸いなり、彼らは神を見るであろう”
”平和をつくり出す人たちは幸いなり、彼らは神の子と呼ばれるであろう”
”義のために迫害されてきた人たちは幸いなり、天国は彼らのものである”

心の貧しいものが何故、幸いなのか?
何故、天国が彼らのものなのだろうか?


これを今世、瀬川先生に本当の意味の、”山上の垂訓”を説いていただきました。

「心の貧しいものは幸いなり」

 自らの心の貧しさを知る者は身を慎み
 反省と悔い改めを怠らずして真理に入り
 天国は彼らのものである


「悲しんでいる人たちは幸いなり」
 悲しみの涙を知るものは 心を洗い清めて真理に入り
 真理は汝を天国に誘い
 彼らは慰められるであろう

「柔和な人たちは幸いなり」
 心穏やかに人と和し 調和の人生を歩むものは天とも和し
 天の心の表現である地を受け継ぐであろう

「義に飢え渇いている人たちは幸いなり」
 人の真こそが義であり その表れこそが愛である
 世の人 誰ぞ愛を拒まんや
 愛こそ世の光であり その輝きは世を照らし世を直し
 彼らは飽き足りるようになるであろう

「あわれみ深い人たちは幸いなり」
 あわれみ深い人は人を許し 育もうとする
 天の心に目覚めしものなり
 故に天より祝福され
 彼らはあわれみを受けるであろう

「心の清き人たちは幸いなり」
 清き心は 清き心に通じ
 彼らは神を見るであろう

「平和を作り出す人たちは幸いなり」
 与えればこそ与えられ 愛すればこそ愛される
 平等平和の真理を知る人よ
 彼らは神の子と呼ばれるであろう

「義のために迫害されてきた人たちは幸いなり」
 人よ あなたを迫害せしは世の闇なり
 故にあなたの内なる光を人の前に輝かせ
 闇は光に勝つことはなく
 天国は彼らのものである


 
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