我聞9

法滅尽の世とは  2005-1 大阪法座



今から二千六百年ほど前、インドの地でゴーダマ シッタルーダ(釈迦牟尼仏)が説かれた法滅尽経を紐解けば、正に現代の世相ソックリで背筋がソグゾクする。

法滅尽経の中にこうある。

それは佛がクシナガラで涅槃に入られる三ヶ月前のことである。
アナンは佛を礼拝しこのように申しあげた。
「佛が説法なされる時は、威光がいつも現れます。今、多くのものが集まりましたのに、光が現れません。これは一体どういうことですか。必ず理由があるはずです。どうぞ、そのお心をお聞かせください」
佛は沈黙して、それに応じなかった。アナンは三度同じことをいわれた。しばらく沈黙の後、佛はアナンにいわれた。
「私が涅槃に入って後、末法の世を迎える時刻、五逆の罪を犯す者が多く現れ、世が濁り、魔道が起こり、盛んになります。このため悪魔が僧侶となり、さまざまな所に入り込み、仏道を乱し、破壊します」
[法滅尽経 由木義文氏訳より抜粋]とある。

それでは悪魔が僧侶となるとは何か。それが今の新興宗教の教祖様です。
それでは何故、新興宗教の神様や教祖様が悪魔ですか。その間題の答えは簡単です。
私たち人間の、人間としての価値観は各々の個性の中にこそあり、その個性を洗脳によって取り去り自分たちの都合のよい人間に改造して、教団のみに従順でも、社会では何の取り柄もない、平凡無能な人間に改造することこそ、神仏への大逆の罪であることを彼らは知らないからだ。

しかして、彼ら自称の神様や教祖様は、あの世ではなく、此の世に的を絞って豪華絢爛に繁栄することであり、彼らは死後のことを説きながら、死を恐れて生きている。

何故なら、彼らも人に嘘をつけても、騙せても、自分だけは騙せない仏心を内に持ち、大逆を犯せば犯すほど、罪の意識に責め苛まれている。

正法を庶民に流布して三十年の歳月が流れた今、私は今、成す術もなく呆然とたたずむのみ。何故なら現代の若者たちに法を説くことは、とても理解のしようもなく、文盲を通り越して、異質の生き物に法を説くに同然だからだ。

つまり人々の心は、行き着く所まで堕落しているからだ。
ごく最近では、自分の子だけを猫可愛がりに可愛がり、自分の子だけを守るあまり、その子は自分だけが特別扱いの人間で、世の中は自分のためにある。と錯覚しています。
だから全てが自分中心で、他に対する思いやりに欠け、そんな子は成長して子供を産んでも、子供は自分の所有物で、思うようにいかないと虐待を繰り返し、邪魔なら殺して何の反省もない。つまり女性の子に対する思いも行き着くところまで行き、鬼子母神を通りこして、正に魑魅魍魎(ちみもうりょう)の住む悪魔の領域に達している。

人間個々の価値観は、それぞれの個性にあり、ある人は絵を描かすと本質を発揮して、人の心に感動を与え。ある人はペンをとらすと、ロマンと夢に満ちたおとぎ話の世界をえがいて、読む人々の心を童心に戻し。ある人は作曲すると、その旋律は人の心を清め高めて天国に誘い。時に老人に若かりし青春の一時を蘇らせる。といったように、人はそれぞれの個性の中に、生命の輝きと尊厳性を秘めるものだ。

しかし洗脳されて個性を奪われて、万人が同じ言葉をしやべるなら、それはいかに民主主義を説こうと、他の人はこれを独裁と呼ぶ。

そして前記の、アナンが涅槃に入る釈迦牟尼仏に、「佛が説法される時は、いつも威光【オーラ、後光ともいう】が現れます。今、多くの者が集まりましたのに、光が現れません。これは一体どういうことなのですか、必ず理由があるはずです、どうぞ、そのお心をお聞かせくださりませ。【法滅尽経 由木義文氏訳より抜粋】とあるがその実なる理由はこうである。

法華経如来寿量品、第十六にこうある。
良医が遠い他国から帰ってきた時、庶民はこれを喜んだが、庶民に毒気【欲望や煩悩】が深く侵入し、あえて良医の薬【反省、内観、禅定を深めて】心の病を癒そうとしない。

つまり仏は、この現状を観て【衆生病むが故に、我も又、病む】で、後光つまりオーラをなくされたのだ。そして釈迦牟尼仏は庶民にむかって「私は今から捏磐に入るが、貴方たちの心の病を癒す薬はここに留め置く。だから病いに罹った時はこれを服用するがよい」と遺言し、「如来は永遠の生命を持ちながら、あえて滅の形をとってこの世を去られました」と記されてある。

そして法滅尽経にこのように記されている。

各地に内乱が起こり、他国が攻め入り。世界各地に大火事が起こり。大水が出。台風やハリケーンや竜巻が自然や民家を破壊し。大地震が起こり。日照がつづいて穀物は不作し。政治家や役人は、自分のした失政や失敗は誤魔化して、道理に叶わぬやり方で税を取り立て、それに庶民が反発して悪人が砂のごとく現れ。善人は少なくなる。
又、スマトラの大津波に触れて、大水が起こり、富める者と賎しい者を問わず、全ての者が水に溺れ漂って、魚に食べられる。とある。

さらに法が滅しはじめると、僧は真理を求めず、霊的なものだけを求め、それを得て大金を稼ごうと、精神異常一歩手前の者に弟子入りし、自分も精神異常一歩手前の霊的能力を得て得々とする。
しかしこの場合、本物の精神異常者と精神異常一歩手前の者とでは本物の精神異常者の方が強く、本物に会うと馬脚を現し、精神異常者と同じ状態になるから要注意だ。

法滅尽といわれる末法の時代は、本当の正法をことごとく潰していき、神様が降りてくる道をふさぐ。そして本物が何かが分からなくなる。

また何があろうと、人の上に起とうとするものは、それに相応しく自己を切磋琢磨する
ことだ。


 
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